市の中心部より南東に位置する丘陵地の中腹に造成された敷地は、市内ほぼ全域とはるかに広がる燧灘を一望する事ができます。当初、建物すべてを山間に納める計画でしたが、ボリューム的に難しく、市内からも遠望できる事から、地域の景観を変える事なくいつまでも風景の一部となることを企画し周辺の建物と同様の瓦葺の施設としました。この施設はできるだけ地元の職人の手仕事により仕上げ、外部は洗い出しか漆喰又は、塗り壁とし、瓦も地元産、軒裏の桧板も地元産、この地方独自の屋根妻側の化粧水切漆喰仕上げや、棟飾りの帆立瓦、鬼瓦も瓦職人によるこの地方のオリジナルな型とするなど、この施設で新しい地元らしさを目指しました。又、施設内外の石彫及び石組作品は全て、石彫家 和泉正敏氏の手によるものです。